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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(行ツ)25号 判決 1984年7月06日

上告人

松浦千恵子

右訴訟代理人弁護士

北尾強也

岩淵正明

奥村回

被上告人

富山県教育委員会

右代表者委員長

浅香幸雄

右当事者間の名古屋高等裁判所金沢支部昭和五七年(行コ)第六号免職処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五八年一一月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人北尾強也、同岩淵正明、同奥村回の上告理由について

本件免職処分を適法とした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論は原判決の憲法三八条一項違反をいうが、逮捕又は勾留されて住所、氏名等を黙秘している地方公務員につき、警察職員等を通じ所属長との連絡が可能であることを前提として、所属長に対する欠勤の届出義務を認めても、憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」を強要したことにならないことは、当裁判所大法廷判決(昭和二七年(あ)第八三八号同三二年二月二〇日判決・刑集一一巻二号八〇二頁及び同三五年(あ)第六三六号同三七年五月二日判決・刑集一六巻五号四九五頁)の趣旨に徴して明らかである。また、原判決の憲法一一条、一三条、一九条及び二一条一項違反をいう所論は、原判決を正解しないでこれを非難するものにすぎない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎)

上告代理人の上告理由

第一、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背、経験則違反、採証法則適用の誤りがあり破棄を免れない。

一、原判決は、<1>上告人が成田空港反対闘争に参加して逮捕、勾留されたこと、<2>相当期間の欠勤が予測されるのに所属長に対し届出をなすことなく欠勤したことは、<3>指導員の欠勤が直ちに在宅児童に対する教育指導の業務に支障を招く状況にあったことから、公務員としての義務を怠り、規律を害するものであったと認定し、本件免職処分が裁量権の範囲内の処分として是認しうるとする。

二、しかしながら、原判決の右認定には、次に述べる通り法令違背、経験則ないし採証法則の適用の誤りがあることは明らかである。

(一) まず、原判決が「上告人が成田空港反対闘争に参加して逮捕、勾留された」ことを公務員としての義務、規律違反とする点に反論がある。

1 原判決の右義務違反の根拠は、まさに右反対闘争に参加したことを論拠とする如くである。

然し、右参加事実自体は、上告人が憲法上保障された思想・信条及び政治活動の自由に関することであって、かかる事実自体を義務違反とする原判決の認定は憲法一一条、一三条、一九条、二一条第一項に反するものである。

尚、原判決は、上告人の地位を地方公務員法三条に言う特別職公務員とする。かくては、同法第四条により同法三六条(政治的行為の禁止)の規定は適用されないのであるから、上告人の行為は私企業に働く労働者と同様に政治的行為を禁止されていないと考えなければならない。従って、原判決の認定及び解釈が前記憲法の条法条に反することは明らかである。

2 仮に、原判決の義務違反の根拠が逮捕・勾留にあるとすれば、この点には経験則ないし採証法則の適用の誤りがある。

すなわち、逮捕・勾留が義務違反となるのは、当該逮捕・勾留が上告人自身の非違行為に起因し、且つ、逮捕・勾留が正当である場合に限られるのは論を俟たない。誤認逮捕であれば、これを義務違反とは言えないのである。しかるに、そもそも本件逮捕・勾留は不当なものである。

すなわち、昭和五三年七月二日、上告人は三里塚においてなされたデモに一参加者として参加した。デモ隊は公安委員会許可のコースを約二五〇メートル進行した後、交差点において機動隊によりその後の進行を阻止された。そのため、二時間余り座り込みを行なった後、デモ出発地点に引上げようとした矢先に、突如機動隊員により逮捕されたものである。

被疑罪名は公務執行妨害であるが、上告人自身は公務執行妨害をなした事実は全くなく、又右経過に明らかな如く、デモ隊引上げ直後の逮捕であることから、上告人は、単にデモ隊の隊列の中にいたという事実のみによって被疑事実の特定及び上告人の関与の有無を問わずに逮捕されたものである。このことは、同デモ隊参加者での同時逮捕者四四名(上告人を含む)について一名も起訴された者がいない事実よりして明らかである(甲第九号証)。

従って、本件においては、誤認逮捕された上告人には何らの義務違反もなく、従って、この点の認定を誤った原判決には経験則ないしは採証法則適用の誤りがある。

(二) 次に、原判決が「相当期間の欠勤が予測されるのに所属長に対し届出をなすことなく欠勤したこと」を公務員としての義務・規律違反とする点に反論する。

1(1) 原判決は、被上告人側の事情として勾留により一〇日間以上の長期の欠勤が予測されたと認定し、前記の如く義務・規律違反とする。

しかし、その予測判断の前提となった事実は極めて不確実な事実でしかなく、むしろ、被上告人の事実誤認と言うべきである。

すなわち、川倉馨は昭和五三年七月五日富山県警察本部に出頭したが、上告人の逮捕・勾留の事実については知らされたが、その際、同本部では釈放時期は正確には不明であると言われたのである。その点を川倉の昭和五四年八月三日施行の調査により再言すると次の通りである。

「99 それで証人のほうとしては何か石黒さんについて、どういう状態なのかというふうなことは聞かれたことはあるのですか。

はい、その状態を聞きましたら、警察のほうでは、いつどうなるかということについては答えてくれませんでした。」

すなわち、富山県警察本部は、被上告人の判断及び原判決認定の如く一〇日間以上の勾留が続くと返答したのではなく、正確には判らないと答えたのである。富山県警察本部としては、上告人を逮捕した官庁ではないのであるから、この返答は当然である。

従って、この返答をもって一〇日間以上の長期の欠勤が予測されたと判断するのは相当性の原則を越え、まさに事実誤認であることは明らかである。

尚、被上告人としては、その余の調査は十分可能だったのである。

すなわち、そもそも逮捕の経過はどうであったか(逮捕が上告人の真に犯罪行為に起因するものか)、あるいは正確な釈放時期等について、千葉県警佐原警察署もしくは千葉地検(場合により上告人本人との連絡も可能であったろう)に容易に問い合わせることは可能であるにも拘らず何らの問い合わせなく、一方的にしかも誤った事実を設定し、一方的に一〇日間以上の長期の欠勤が予測されると判断したことは全くの事実誤認の判断であり、原判決が、この判断を認容したことは経験則違反及び採証法則違反であることは明らかである。

(2) 又、原判決が上告人の立場よりして「相当期間の欠勤が予測された」と認定するのであれば、これは明らかに経験則に反する。

けだし、法律専門的知識を有しない、しかも初めて逮捕された一般人が、どの程度の期間勾留されるかについて正確な知識を有しているとは考えられないからである。

かえって、逮捕されたとしても、勾留されずに逮捕後四八時間又は七二時間にて釈放される事例も法は予定しているのであるから、逮捕の時点において一般人に長期の勾留の判断を求めることは明らかに経験則に反するものである。

(3) 以上述べたことから明らかな如く原判決認定の「相当長期間の欠勤が予測された」との判断は、経験則違反、採証法則違反の非難を免れないものである。

2 原判決は、さらに所属長に対し届出をなすことなく三日間欠勤したと認定する。

その論拠とするのは、取調べの警察職員等を通じて所属長へ欠勤申告することは可能であったとの判断にある。しかし、そもそも上告人は、逮捕当初から氏名・住所を含め供述していないのである。憲法三八条第一項によると氏名・住居の黙秘も保障されていると考えるべきであるし、仮に然らずとするも「被疑者には供述の義務もない。自己に不利益な供述をする義務がないのは勿論、およそ何らの供述する義務もない。従って、氏名・住所などを言うか言わないかも全く自由である。」この権利は憲法三八条一項の規定する権利より広い権利であるとされている(平野龍一刑事訴訟法一〇六頁)。

ところが、原判決は、あえて氏名を明示すること(明示しなければ連絡のしようがない)を強要するものに等しく、かくては被疑者が有するかかる供述拒否権を侵害するものであり、憲法三八条第一項、刑事訴訟法一九八条二項に反するものである。

尚、付言するに、上告人は欠勤の申告については、誠実にその義務を尽している。

すなわち、上告人は逮捕直後より養護学校への欠勤を心配し、そのため昭和五三年七月五日に弁護士井上豊治と初めて接見が可能となった際、弁護士に対しまっ先に養護学校への欠勤事実の申告と休暇の申請の手配を依頼したものである。しかも、その際には、勾留されている事実も正確に記載した文書を作成しているのである(乙第八号証の一)。

かかる事実が存するにも拘らず無断欠勤と認定した原判決には、前記憲法及び法令違反並びに経験則違反が存するものである。

(三) さらに、原判決が認定した「指導員の欠勤が直ちに在宅児童に対する教育指導の業務に支障を招く状況にあった」との認定に反論する。

1 原判決の右認定の根拠とされるその一は、上告人ら五名の訪問指導員の児童に対する職務内容がマンツウマン的な教育指導であったとされる点である。しかし、本件の証拠上、次の諸事実が明らかとなっている。

すなわち、上告人が実際に担当していた児童は甲第一一号証の通りであるが、これにより明らかな通り、上告人担当児童はいずれも、いわゆる「障害」が重複している児童であり、その「障害」の程度は、いずれも重度精神薄弱、又は最重度精神薄弱の「障害」を受け(且つ、これに肢体不自由が加わる)ているものである(甲第一一号証、甲第二〇号証一三頁)。

従って、訪問指導員の学習のねらいとしては、例えば「身のまわりの出きごとへの興味や関心をもたせる」とか、「機能訓練的な遊びや作業を通して友達や先生を意識することができるようにする」とかがそのねらいとされる(甲第二〇号証一三頁)。

右学習のねらいに基づいた具体的な実践活動としては、上告人の場合には、積木を積んではくずし、積んではくずすことを繰り返し行ない、児童自らが積木をくずす行為をとるようにさせるとか、あるいは児童の名前を何十回も呼んで、あるいは時には道具を利用して同じ行為を繰り返し、遂には、名前を呼ばれてもそ知らぬ顔をしていた児童を、名前を呼ばれたら返事をするように顔を向け目を見あわせるようにしたというような活動がその内容となるのである(甲第六号証七六頁)。

右の実践活動で重要なのは、前者の例は積木の成果は半年後にあらわれ、後者の例では名前を呼ばれたら顔を向ける成果は四ケ月後にあらわれていることである。

このような経験は何も上告人に限られるわけではない。例えば、被上告人作成の甲第六号証によれば、指導内容の数と指導時間と題し「どの実践例も一つの成果内容を見出すために多くの時間をかけている。それは継続であったり、断続であったりはしているが、実に指導員の根気が伺われる」(同号証一二頁左)と記載しているのであり、訪問指導員の職務には一般的なものである。

以上の諸事実からいえることは、上告人の従事してきた訪問指導教育は、一つの成果を得るにしても根気のいるサイクルの長い教育であって、例えば健常児の如く学習指導要領に定める各科目の授業数が厳格に指定されていて、大幅な遅滞が許されていない教育とは趣きを異にしているという点である。ここでは、わずかの欠勤が「直ちに」教育指導の業務に支障を招くとは到底言い得ないにも拘らず、マンツウマン的な教育指導の一言をもって指導員の欠勤が直ちに業務に支障を招く状況であったと認定した原判決には、経験則及び採証法則適用の誤りがある。

2 又、原判決は、前記認定の根拠として代替指導員のいないことを挙げる。

しかし、本件証拠上は次の諸事実が明らかとなっている。

すなわち、上告人は、上告人担当の五グループの児童のうち一日に二グループの児童を担当する。ところで、他の三グループの児童は、この間、病院の看護婦、看護助手、保母などからいわゆる療育を受けることとされている。

すなわち、そもそも国立療養所富山病院においては、訪問指導なき場合の代替措置の制度が備わっているものである。

しかも、右療育の目的は、例えば「情緒的安定と豊かな表現力を養う」とか「知的能力の開発」等を目的としており(甲第七号証四枚目)、その目的において訪問指導の目的と大差はなく、又、内容においても大差はないものである(同第七号証五枚目)。

あえて違いをあげるとすれば、訪問指導は狭義の意味での療育を加味した教育(何故ならば、上告人担当児童の全員が肢体不自由児でもあり、教育本来の内容以外に介助等の行為を要するため)、療育は狭義の意味での教育を加味した療育と言える程度の差しかない。にも拘らず代替指導員がいないことをもって指導員の欠勤が直ちに教育指導の業務に支障を招く状況であったと認定した原判決には、経験則及び採証法則適用の誤りがあることは明らかである。

三、以上述べた通り、上告人が公務員としての義務を怠り規律を害するものであったとの原判決の認定は憲法に違反し、経験則上もしくは採証法則にも反し、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背により破棄を免れない。

第二、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令解釈の誤りがあり、この点からも破棄を免れない。

一、すなわち、既に第一で述べた通り被上告人の本件免職処分は、いわゆる事実誤認に基づく処分であって、これを看過した原判決は破棄を免れないことは明らかである。ただ、原判決は、上告人が三日間無断欠勤した事実を強調して免職処分の正当性を認定しているので、尚、念のため、これに反論する。

二、上告人に三日間の無断欠勤の如く一定の事由ありとしても任免権者が処分するか否か、又、仮に処分するとして、いかなる処分をいかなる程度のものとして行うかについては、一応処分権者に裁量権があると解されている。

しかし、今日これらの裁量を純然たる自由裁量行為と解するものは見あたらない。

すなわち、事実の存否について客観的に妥当な判断をし、その判断のうえにたって所定の処分のうち、これに相当する処分を選択すべきであって、その処分の選択における相当性は事案の性質、程度、被処分者の職務内容それに基づく処分の程度、職務経歴、勤務成績等を考慮して社会通念に従って決せられるものであって事案の存否判断において著るしく妥当を欠き、又は処分の道理を誤り重きに過ぎるならば、その処分は違法とされると解されているのである。

三、そこで、以上の観点から本件免職処分の適否を判断する。

1 事案の性質、程度

右の点に関し、本件で問題となるのは三日間の無断欠勤のみである。しかしながら、わずか三日間の欠勤にしかすぎない。

この点につき第一審判決は、上告人にも「多少責められるべき点があったことは否定できない」とは指摘するものの三日間の欠勤では免職処分は不相当と判断していることにみられるごとく、欠勤期間の短い点が本件の特筆すべき事情である。

又、上告人は、七月五日弁護士との接見において誠実に連絡をつくしており、単なる怠慢による無断欠勤ではなくこれを阻止するために最善の努力を尽していた点も考慮されなければならない。

2 職務内容

既に述べた如く、上告人の従事してきた訪問指導教育は一つの成果を得るにしても根気のいるサイクルの長い教育であって、例えば、健常児の如く学習指導要領に定める各科目の授業数が厳格に指定されていて、大幅な遅滞が許されていない教育とは趣きを異にしており、わずかの欠勤が「直ちに」教育指導に支障を招くということは到底考えられない。

又、仮に、上告人が欠勤したとしても看護婦、保母などによる療育を受けることによる代替措置の制度が備わっているのである。

従って、上告人のわずか三日間の欠勤によって取返しのつかない支障を招く職務内容とは言い得ないものである。

3 上告人の職務経歴、勤務成績

上告人は、いわゆる教育一家に育ち、大学入学当時からいわゆる「障害児」教育に強い感心をもって、大学在学中から特に本件訪問指導員教育に意欲をもって学習してきた。且つ、大学卒業後直ちに訪問指導員となり、実践の過程で当時緒についたばかりの、いわゆる「障害児」教育に初期の頃から関与して豊富な経験を有していることなどの事実を前提とすれば、上告人の素質、能力、性格、経験のいずれの見地からも訪問指導員としての適格性に欠ける事情は全くないものである。現に、被上告人証人黒沢景壽も本件免職前、上告人に関して勤務上マイナスの評価は全く報告を受けなかった旨証言しているのである(同証言録二〇七問)。

4 処分の程度

一般職の公務員に対する分限処分には降任及び免職がある(地方公務員法二八条一項)。又、懲戒処分としては、戒告、減給、停職、又は免職の四段階がある(同法二九条一項)。

上告人は、特別職の地方公務員であるから右規定の適用は受けないとしても、その趣旨を準用すれば、仮に上告人が三日間の無断欠勤の故をもって何らかの処分を受けるとしても上告人に対する処分は、いくつかの段階が考えられるものである。

又、私企業に働く労働者に対する処分でも就業規則の内容により差異はあるものの、一般的には解雇、停職、減給、出勤停止、戒告等の処分の段階がある。これらの処分の段階は、被処分者の行為の程度に対応して科するものとされているが、本件で上告人に対して課せられた処分は、これらの段階のうちでも最も重い免職処分である。処分の段階に数段階の方法がある場合には、その選択は客観的に妥当でなければならないが、本件処分は単なる三日間の無断欠勤に対しては重い処分に該当するものである。

四、尚、本件類似の事件として、いわゆる住友化学工業事件(昭和四八年(ネ)第五五三号懲戒処分無効確認等請求控訴事件)がある。事案は、逮捕・勾留により三日間無届欠勤した従業員に対して会社側が行った懲戒解雇処分の当否が争われたものであるが、これに対し名古屋高裁判決昭和五一年一一月三〇日(労働法律旬報第九二五号六〇頁)は、弁護人との最初の接見に際し、弁護人に欠勤届の提出を託した点において欠勤届提出の手続きを事後速やかにとったものといえ、従って三日間の欠勤は、無届欠勤ではなく事故欠勤の取扱いをなすべきものであるとして、本件懲戒解雇処分を無効とする原審判決を維持した。

さらに、懲戒解雇事由が本件とは異なるものの、職場外の犯罪行為により逮捕・勾留されたことが懲戒解雇事由たる「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」に当たらないとして、懲戒解雇処分を無効とした最高裁二小法廷昭和四九年三月一五日判決がある。

以上の判例に照らしてみても、原判決は法令の解釈を誤まったことは明白であり破棄を免れない。

五、以上の諸点を考慮すると、被上告人の上告人に対する本件免職処分は、社会通念上、著るしく妥当を欠き、明らかに任免権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められるのである。

原判決は、法令の解釈を誤まり、本件処分を裁量権の範囲内の処分として是認した点においても破棄を免れないものである。

以上

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